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2026-02-28

ロケットzストーブこと始め

これからの短い人生、冬も使うとなると、寒さ対策が必要だ。で、いよいよストーブを、と思い、調べていると最近流行のロケットストーブという熱効率の良いストーブがあることを知る。

このストーブでは、燃焼筒が断熱壁でできているので、ガスがより高温になりやすく、不燃ガス(スス)が出ても燃えてしまい、無駄がない。同時に高温で燃えるので、一酸化炭素ガスやNOxなどの有毒ガスの発生が少ないようだ。また、ガスがより高温になるので、燃焼筒のなかで強い上昇流が生じ、排気圧力も高くなり、排気をするのに横引きも可能、その通路も長く取れるという利点があるということらしい。

手始めにテストとして、単一の断熱筒を用い、急ごしらえでロケットストーブをつくり、屋外で燃してみる。燃焼入り口部は軽量ブロックとレンガで作る。そこに縦方向に細い板切れや竹などを差込み、火を着けてみる。すごい勢いで燃える。長い筒を用いると、火の勢いが増すことは、以前報告したようにすでに経験したことでもある。


テスト全体図
燃焼口に板切れ差込み


yokko




燃えているのは下部のみ


翌日これをドーム内に移す。燃焼筒の下部だけで燃えていたので、上部まで燃えやすいように、熱伝導の良い材料である銅板を差込み、上部まで早く熱くなるようにしてみた。うまくいくかどうか?である。この銅板に穴を開けるなどして、そこから2次空気が供給されるようにすれば、ススの再燃焼も容易になるかも知れない。



銅板を差し込む


燃焼口



手持ちの材料で排気予定のドーム壁(左)まで配管してみた。











壁まで煙突を水平に配管




手持ちの材料で排気予定のドーム壁まで配管してみる。ドーム壁の屋外排出穴まで、ちょっと曲がり部が出来てしまうので、これをどう作るかの工夫が必要だ。



PS:「日本の練炭七輪のこと」
このロケットストーブ、考えてみれば断熱された燃焼部といい、断熱性の高い珪藻土でできた日本の七輪に構造が似ていると思えば、似ている。となると、七輪に練炭を入れて炊いても同じような熱量が取れそうだ。

今回のテストに用いた断熱煙突筒の排気に手をかざしてもそんなに熱くはなく、これくらいなら練炭でも変わらない。ひょっとすると練炭のほうがむしろ大熱量かもしれない。幸いドームの天井は高いし、密閉度もないように作ってあるので一酸化炭素ガス中毒の心配もない。

練炭七輪を数個並べて炊き、天井のシーリングを風向を下向きにして回せば、ドーム内もふんわりと暖かいのではないかと思う。 この場合、外部へ排気しないので、熱効率は100%だ。ドーム内のあちこち、数箇所で七輪練炭を炊いても、練炭の価格は知れている(?)ので、安全かつ、長持ち、薪などの手間要らずで、便利かもしれない・・・。




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やっとドームキャンプ場が出来た

さあ、念願のテントを張ろう。こちらに見えるのはすでに張ってあるテント、American Camper、昔アメリカで買ってきたもの。


今回は2年ほど前の誕生日にプレゼントされたもの、Ridge Wayを張る。


箱を開けて、




ちょっとポール差込み間違ったっけど、簡単に完成。吊り下げ式はポールが見えて差し込みやすい。フライシート無しでしばらく寝てみる。天井がスキスキで涼しいかな。内部には網棚や網で仕切ったコーナーがあり小物収納に便利。


増設部床コーナーには大昔の黄色いアライテントを。一人用で一人でよく山に行ってたときに買ったが、二男と奥多摩の川乗山へ上ったとき、登山口の丹波川?の狭い川原で一度使ったのみ。30年あまりも昔で、ドーム型テントも珍しかった時代で、高価だった記憶がある。二人までならなんとか寝られる広さ。


テント三張りの並び、奥から一人用、4ー5人用、2ー3人用。


あと、元のところに蚊帳の寝場所、孫娘のお気に入りの場所。

この蚊帳は近いうちに黄色いテントの場所に移し、寝ながら天井の三角窓から星が見えるように。黄色いテントは車旅(行かないけど)専用に。

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思い出せば、いろいろテント買ったなあ、2008年の記事からテントの思い出(1,2,3)

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アーティスト大串孝二さんと千葉の土地

今から30年ほど前、富士山の土地を求めたあと4年ほどして「富士山は寒い、やっぱり暖かい土地にも遊び場所が欲しい」と思い、千葉房総にも土地を手に入れた、300坪。人里離れた牧歌漂う土地の話。

当時からそこに住みつく予定の方で、仲間と共に周りの土地を一括購入する世話してくれたO氏がいた。なかなかいい土地を見つけるのが難しかったバブル経済の時代、みんな飛びついた。夢があった。周辺を山に囲まれた1500坪程の土地、仲間5人と分け合った。当時複数の地主がいて、それをまとめるのにO氏は苦労されたようだ。



写真右が大串さん

その中には若きアーチスト、大串孝二さんもいた。千葉で学校の教員をされている方も二人入っていて、みんな若かったから、時々集まったりした。一区画200坪から500坪で、大串さんがもっとも広い土地を買った。

O氏の丸太小屋

その後実際にそこに電柱と枕木で家(上写真)を建て住み付いたのは、世話役O氏。その数年後、大串さんが別荘を建てた。その他のみんなも同じような夢を持っていたが、現役の仕事で多忙のためか実現しなかったようだ。

その後、世話人だったO氏は他人に土地と家を譲り?、今はそこにはいない。そのため訪れても、当時の仲間には会えないでいる。でも今から10年ほど前か、たまたま来られていた大串さんと奥様にお会いできた。懐かしかった。その際、家の中を見せてもらったことがある。



土地購入当初、若き大串さん、川沿いの竹林を皆で手入れしていた時、そこに将来、「アーチスト仲間たちの演劇舞台を作れるといいな~」と、夢を語っていた。その場所は自分たちの土地からちょっとだけ下段にあるので、舞台が見下ろせるはずだった。

大串孝二さんの画像検索から

ある時銀座の地下でやっていた大串さんとその仲間の演劇を、家内と一緒に見に行ったことがある。演劇ではかなづちで単に?ガラスを割るシーンや、真っ白く化粧した能面の韓国女性の奇妙な?踊りなどがあり、凡人のボクたちには理解不能な内容であった。でも大勢の若い演劇仲間が集っていた。大串さん、その後も国際的にも活動しており、今は知る人ぞ知る大物アーチストとなっている、らしい。どこかの大学の先生も兼任されているとか。注目!

ところで、この地へは仲間うちで最も遠いところに自宅のあるボクは、なかなかそこに行く機会がなくなっている。20年ほど前から、富士山でドームを建て始めたのが行けない最大の理由だが、機会を作ってまた行って見たいものだ。



当時は、仲間みんなで周りの竹林の太い竹を刈ったり、土地に生えた細い竹や雑木を刈ったり、また業者に頼んでは公道から土地まで道路を引いたり、各自の土地に砂利を入れて駐車場を作ってもらったり、井戸を掘ってポンプをつけて鉱泉を引いたりしたものだが、当時のO氏と今の大串さんを除いて、まったく使わないでいる。あるとき栗の苗木を何本か持って行って、自分の土地に植えたこともあったが、暫くして行ってみると、勢いのいい雑草に負けて無くなっていた。

この土地には、竹を刈りに行ったついでに一度だけ、家内とテントを張ってキャンプしたことがあった。昼間は暖かく、テントで寝そべっているとなんとも心が安らぐ。夜になると涼しく、真っ暗闇の中、周りの山から猿のわめく声が響きわたった。彼らの領域を侵すよそ者の我々を、猿ながら必死に脅していたのだろうか。

そのほか、土地取得後しばらくして、ある大手宗教団体が周りの広大な山を買い取り、墓地を作る計画が持ち上がった。最初90%反対の町民が最後にはほぼ全員が賛成に回るほど、あの手この手の買収が激しかったようだ。でもナショナルトラストによる反対運動が起きたりして没。ボクたちもその宗教団体がすでに作っていた墓地を群馬県までみんなで下見に行ったりしたこともあった。



この地からは東京湾の海水浴場にも近く、鴨川など太平洋側の海の町にもクルマで30分ほどと近い。山側には、森永のエンジェルゴルフ場やマザー牧場もある。それまで余り馴染みのなかった房総半島の内陸部も、クルマであちこち走り周ったおかげで詳しくなった。
ボクの趣味の関係で、木工広場「もくもく(ドームの喫茶店付き)」を訪れたり、ログハウスを見つけては立ち寄ったり、深夜になってでも目ぼしい売り出し物件を探しに行ったりで忙しかった。



それに、休日ごとに名古屋の勤め先(横浜在住)からやって来てはドームを一人でDIYしていた方とも知り合いになったり、...今はどうされているかな?、あの方。

ただ数年前に訪れたときに、この地を流れている小川沿いの山も切り崩されていたのを知る。山合いの土地が随分と開けた感じになってしまっていたが、購入当時のあの里山の風情がなくなっていく?と思うと、複雑な思いだ。今はどうなっているのだろう。





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